Lofigrapherってなんだろう?ググっても写真におけるソレの答えは見つからず。あ、コンテストで答え探しすればいいのか!?
ジェットダイスケ氏が主催するローファイ写真コンテストが面白そうだ!だがしかしローファイ写真の定義が明確になっている訳ではなく、ご本人も「自由な発想であなただけのローファイ写真を見せてください」と仰っている通りだ。じゃあ考えてみよう。(以下、4点が実際にコンテストに応募した写真です)
模索1:Lo-Fiやってみた。
Lo-Fiを考えるには、Hi-Fi(High Fidelity/高忠実度)と逆のことをやればいいのでは?…という安直な扉をノックしてみる。
今から50年近く前のフィルムカメラを使って撮影し、そのネガフィルムを同じく50年近く前のマクロレンズでデジタイズしたのがこの写真。フィルムホルダーは自分で作った。唯一の現行品はデジタル化の受け皿になったミラーレスカメラ。手間もお金もかかる。
しかし単に古い機材を使うことがLo-Fiの真髄なら、富士フィルムのフィルムシュミレーションを否定してしまうことになるだろう。高精細な写真をLightroomで加工することもまた然りだ。それは違う。オールドレンズ遊び=Lo-Fi…とは限らないのか。うむ、この理解から始めよう。
模索2:被写体もLo-Fiがいい。
上記のアナログ手順を踏襲しつつ、被写体に昭和感を出してみたのだが。
写真は撮った瞬間に過去になっていく。同じく、時間は被写体も古くしていく。古いものを撮ると写真の持つ時間の重さが掛け算になるように思える。どこかに懐かしさを包含するのがローファイ写真なのだろうか?
余談だが、この喫茶店で注文した親子丼に豚肉が入っていた記憶だけはHi-Fiに記憶されている。
模索3:ピンボケとは違うのだよ!ピンボケとはッ
Hi-Fiを高忠実度と定義するのであれば、フルパワーを出しても再現性が乏しい写真はLo-Fiと言えるだろうか?暗室に居を構えるフィルム引き伸ばしレンズを無理やりカメラに繋げて外に持ち出したがピントが物理的に合わなかった。しかし失敗ではない。これがレンズの最大出力なのだから。
Lo-Fiとは、進み過ぎた技術で退屈になった世界へのアンチテーゼなのだ(たぶん)。
模索4:Lo-Fiで生き返る写真。
いくら高級レンズで撮影しようがピントを外してしまったら普通はゴミ箱行きだ。でもローファイ写真なら生き返る。だってLo-FiでもOKだから。ピンボケもブレも収差も露出失ズレも受けとめよう。やれAFだの、やれ手ぶれ補正だの、四の五の六の七の言わずに写真として認めてあげよう。なにも無頓着になれと言いたいわけじゃない。ただただ、大量消費・大量廃棄の全国民王様時代に一石を投じる写真があってもいいじゃないか。
今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている。
まとめる。
詰まるところローファイ写真とは、持て余す高解像・高彩度・高性能・高コントラスト時代とは別の世界線で写真を楽しむ文化として昨今産声をあげ、そこには自由やゆとり、もしくはある種の疲れを見てとれる。音楽に源流を持つLo-Fiの波がようやく写真にも届いたのだろうか。それはいいことだと思う。写真の場合、押しの強い絵を無尽蔵に吐き出す現代の写真機を制御する必要が生じ、意図的に技術の進化に抗った写真という点が興味深い。
コンテストが気になる。
既にTwitterとInstagramで各々が考えるローファイ写真を見ることができる。それぞれの物差しがまた面白い。最終的にLofigrapher提唱者のジェットダイスケ氏がどんな作品を選ぶのか!?そこが1番ワクワクする。
でだ
皆が皆ローファイ写真を撮る必要はないし、皆が皆Hi-Fiに傾倒する必要もない。身も蓋もないことを言えば別にどっちでもいい。自分が好きな方を選べば良い。ただ、今後ひとつのジャンルとして#Lofigraphaer が確立されたらきっと楽しい。「粋なもんです」と呟きたい。
最後までお読み頂きありがとうございました。では諸君、良きLo-Fiライフを!かしこ。
ブログ管理人:isofss(イソフス)
ところが後日談↓↓↓投稿しているインスタに異変。