かつてビスマルクはそう語った。これは写真においても通じる理だ。読んで字の如し、撮影にまつわる珍事件を5つ思い返してみた。ただのネガティブ日記ではない。もしかしたら対岸の火事ではなく明日は貴方の身に起きうるかもしれない。どうか私の屍を超えていってくれないか。読みながら寒気がしたら部屋の暖房を入れてほしい。では冷や汗の大海原へいざ出港しよう!
第5位:ケーキ入刀直前に腹痛。
奴はブライダル撮影中にやってきた。しかも大きい方だった。会場アナウンスによるともうすぐケーキ入刀である。これを撮り逃がすわけにはいかない。しかし…晴れやかな舞台で粗相を起こすわけにもいかないっ…。カメラを抱えたままお手洗いに直行し、第一波をやり過ごしてダッシュで会場に戻ったのだった。
ギリギリのギリ。
間に合った、両方の意味で。こればかりは生理現象なので対策のしようがない。お腹が弱い人はブライダル撮影に向かないと言う話を聞いたことがあったのだが、まさか身をもって経験するとは…。最初から下卑様な話題で申し訳ない。
第4位:いざ本番でストロボ電池切れ。
こちらもブライダル撮影での出来事。出席者全員が写っている集合写真を撮って欲しい!と新郎新婦からオーダーがあったのだ。スケジュールの都合上、最後の最後に集合写真を撮る段取りだった。室内の少し高い場所から換算15mmの超広角レンズで撮影する。四方に外窓があったためスタッフの方にお願いしてカーテン全開で明るさを補いつつ(それでも絞り込んでいたので)ストロボを使って露出を補う予定だった。いざ本番!すでにカメラは三脚に固定されており、マイクを使って全員に声かけも行い、テスト撮影も行って「いよいよ本番です!」となったタイミングで…クリップオンストロボの電池が力尽きた。え?今?
武士は食わねど高楊枝。
…この諺はここで使うのか?違う気もするが。要は、こういう状況でもカメラマンが堂々としていることは大切だ。実際かなりアンダーな写真だったが新郎新婦の表情はとても素敵だった。明るさが適切なテスト撮影カットとRAW現像でゴリゴリにシャドーを持ち上げた本番カットを並べてみたが、採用されたのは後者だった。今となっては…いい思い出だ。
クリップオンストロボといえば単三電池×4本での運用が主流だが、最近の機種では専用バッテリーを使うストロボも販売されているらしい。専用バッテリーであればポケットに忍び込ませておけば電池交換だって10秒もいらない。次にストロボを買う時にはそちらにしよう。気になっているのはGODOXのAD100pro…これ欲しい。
第3位:ブレてて全部ボツ。
性懲りも無く別の結婚式撮影でのこと。普段から使っているメインカメラにはボディ内手ぶれ補正が内蔵されており、その恩恵に慣れてしまっていたことが引き金になった。この日のサブカメラは借り物だった。お察しの通りそちらにはボディにもレンズにも手振れ補正機構がついていなかったのだ。(そしてまた集合写真なのだが)会場がかなり暗かったのでシャッタースピードを1/30秒に設定した。皆が集まる場所がステージ上だったのでカメラマン側が脚立に乗り上げて高さを補った。当然手持ち撮影になる。集合写真だから動かないし1/30秒もあれば被写体ブレもギリギリOKだろう…と判断したのだが、甘かった。全部手ブレしていた。
言い訳いっさいNG。
まず(1)感度を上げて手ブレしないシャッタースピードを確保する判断ができていない。(2)借り物のカメラを使いこなせていない。(3)そもそもサブカメラも自前で用意していればリスク回避できた。(4)撮った後の確認で気づいて撮り直せていない。こんなレベルでブライダルの現場に立ってはいけない。「だから取り分を減らしてでもアシスタントを雇って2名で撮っていたし、今回は彼のカットで無事に済んだ」…と言うのは結果論であって根本解決になっていない。そもそもアシスタント君にすら及んでいないではないか。謝って済む話ではない。仕事なのだから。戦国時代だったら腹を切って責任を取るところだ。思い出すだけで冷や汗が出る。
自分の首を絞める発言になるのだが事実としてブライダル撮影に経験の少ない持ち込みカメラマンを選ぶと新郎新婦はこういったリスクを背負うことになる。一生に一度の記念日撮影には(値が張ったとしても)腕のあるカメラマンを選んだ方が確実だ。
第2位:フィルムで撮ってピンボケ。
引っ越す先輩を囲んで最後の集合写真を撮った時のこと。フィルムカメラ×オールドレンズで撮ることにした。後日、現像後のネガを見て時間が止まった…。3カット全部ピンボケしていたのだ。フィルム用のルーペで何度も確認したが…ボケていた。先輩を始め友人たち約60名に迷惑をかけてしまった。
フィルム使う俺エモいだろう。
…という勘違いに早く気づいて欲しい。正しくは「エモい」ではなく「キモい」だ。せめてスマホでも撮って保険をかけておくべきだった。穴があったら入りたい。
第1位:「私そんなにこだわりないんで。」
全ての人がカメラマンに好意的なわけではない。仮にカメラマンとして実績があると(勘違いも含めて)自負していたとしても人として嫌われていたらなんの意味もない。私はそれを身をもって学んだ。上記の言葉は皆で写真談義をしているときに年下の女性から言われた衝撃の一言だった。翻訳すると「この話、もう終わりにしませんか」である。さらにスペースキーを押すと「もちろん女性にとって写真写りは大事ですよ。」「ただ貴方の話は…もう…十分なんですけど。」と目を背けたくなる変換候補が表示される。ちなみにこの子は前述のフィルムピンボケ事件に居合わせた人である。あ、これは完全に完敗である。覆水は盆には返らない。
七転び八起き。
この記事を書きながら(最初の方は笑えたのだが)今や反省の二文字で肩が潰れそうだ。「愚者は経験から学び、賢者は他者の失敗から学ぶ。」私は経験から学んだ。しかしカメラを捨てたいとは思わない。這いつくばっても構わない。でもこうした苦い経験を他の人に、特に希望に満ちてこれから写真を・カメラを楽しもうとしている人に味わって欲しくない。七転び八起きといっても当座は苦菜を噛む思いをするからだ。どうかこの記事の内容が賢い方の礎の一片になることを願う。
恥のかきついでに蛇足を1つ。「集合写真」と「ブライダル撮影」で散々やり散らかしている筆者であるが、これだけ失敗したことはむしろ糧になっている様子だ。今まで迷惑をかけてしまった関係者には足を向けて寝れないが、これから関わる未来の被写体の方々には(失敗から学んだ技術を用いて)素敵な写真を届けたい。
では諸君、よき写真LIFEを!かしこ。
ブログ管理人:isofss(イソフス)