今更なのですが!日本を代表する写真家・土門拳の「筑豊のこどもたち」新装版(初版1977年)を購入しました。今日はおふざけなしです。撮影された時代に生まれてすらいない若造がこの写真集を読んでどう感じたのか?を綴ります。著作権がありますから写真を転載することは出来ませんが心に刺さったカットをピックアップしますので写真集をお持ちの方は是非ご一緒に。まだご覧になったことのない方には是が非でもオススメしたい一冊です。何卒。

これが日本なのか?

私は決して裕福な家庭で育ったわけではありませんが両親のおかげで普通に成長し、今日というこの日まで五体満足・特段苦労もせず普通に生きてきました。蛇口を捻れば水が出ますし、食うに困らず、仕事もあり、温かい布団で毎日寝れております。そんな温室育ちの現代人が「筑豊のこどもたち」を読むと、自分が享受している“普通”がまるで殿様LIFEに思える程です。土門拳の写真のインパクトは強烈でした。かつて日本にこんな時代があったことを知れただけでも収穫でした。

1950年代後半、貧窮のドン底。

写真集に綴られている情報からすると、撮影は1950年代後半の筑豊(福岡県)のようです。現在福岡県に住んでいる私としては他人事に思えない忖度もあります。ちょうど自分の親が生まれるかどうかくらいの時代です。戦後、エネルギー資源が石炭から石油に移り変わった頃の、田舎の閉山した炭坑から放り出された失業者たち。その家族、特に子供たちにフォーカスした一見不幸な写真が連なるのですが、ただそれを単純な不幸の記録で終わらせないから土門拳なのでしょうね。

胸に刺さった写真5選。

今回購入した新装版は1977年に再販された写真集です。今でも新品購入出来ます。約100ページの中から個人的にグッときた写真を5つ選びました。著作権の関係で文字だけでお伝えすることをご容赦下さい。

29p:鼻水垂れ流し幼女

ものすごい大泣きの女の子の写真がございまして。それはもう世界が終わるくらいの勢いで泣いております。モノクロ写真なのに声まで聞こえてきそうな勢いがあります。涙と鼻水が決壊しております。お召し物が着物です。…この表現が合っているか分かりませんが梅佳代さん的な匂いがします。悲劇の写真なのに(?)見ているこちらが元気になる写真でした。

30p:紙芝居は最高のエンターテイメント

注釈によると「アメとくじ引きでおまけがもらえる5円の紙芝居」とのこと。炭住街唯一の娯楽だったらしいです。食い入るように見入る子供たちで埋め尽くされた写真。後ろの方にいる中学生くらいの男子が興味津々にこちらを覗き込んでおります。ここはスマホもSwitchもない時代。みんな楽しそうな表情なんですよね。

47p:包丁で工作する少年

小学生にあがってない年頃の男の子がおりまして。自分の顔と同じくらいのサイズの包丁で枝を工作している写真です。歯にグッと力を入れて指ギリギリのところにある刃先で作業しております。大過保護時代の今の親が見たら卒倒するでしょうね。危険が危ない!子供たちは遊びのために自分用の刃物を隠し持っているらしいです。なんてパワフルな時代なのでしょう。

74p:弁当がない昼ごはん

衝撃の写真が続きます。小学校のクラスで昼食を食べている時間なのですが、ポツリポツリと「小学一年生」や「りぼん」を読んでいる子がいるのです。なぜなら貧しくて弁当を持ってこれないから…。目のやり場に困るから漫画を読んでいるのだとか。特に74pの下の写真はエグいです。貧困の中にさらに格差を感じます。それでも学校に来ることが凄いです。

70p:母のいない少女

本の表紙の女の子の別カットです。お母さんは出稼ぎで在宅しておらず、お父さんと妹と3人暮らし。貧困の度合いが群を抜いており、家財道具といえば鍋と茶碗くらい。畳は腐って藁に戻っていて、電気もなければ、顔を洗う桶もなく、親指くらいに縮まった蝋燭がなくなれば真っ暗になってしまう室内、そんな生活が淡々と綴られております。そして最後の70p、明後日を見つめる物憂げな姉の目にどこか美しさすら感させる土門拳の写真。言葉を失うばかりです。↓↓↓今回の記事を台本にした動画も公開しております(中身は一緒です)。

写真の本質は記録なんだ。

私は今日の今日まで写真の役割はルッキズムだと思っていました。どんな綺麗事をかざしたところで今が見た目至上主義時代であることは誰も否定できない事実でしょう。近い例をあげると、スマホの登場で誰もがカメラマンになり楽しいことや自慢したいことを無限に垂れ流せる時代になりました。

数が増えれば価値は下がる。

これは何にでも当てはまる原則だと思うのですが、残念ながら写真にも然りだと思うのです。幸せっぽい写真が大量に消費されるようになり、結果的に幸せの基準が玉石混合になったのは皮肉な話です。引き合いに出すのは不謹慎ですが、この記事を書いている時点でウクライナで子供たちが犠牲になっている映像や写真を毎日目にします。そんな惨劇を知りつつも(私を含め)多くの日本人は今日も自分の幸せ写真をSNSに投稿している訳です。みんな結局自分のことが一番大事で、写真の目的は自分がどう見られるかを表現する道具にすぎません。

土門拳の写真。

そんな写真文化の成れの果てをたった1冊で覆すかのような、まるで写真の本質は記録だと分からせるために読者を一度崖から突き落として原点回帰させるかのような…「筑豊のこどもたち」はそんな1冊でした。貧困という目を背けたくなる現実を・しかも子供を介して・ここ日本で起きた事実として記録した土門拳。不幸に思える状況の中で無垢に生きる子供の表情。共感に飢えた現代とは別の世界線がありました。こういう記録にこそ価値があると思うのです。カメラ好き・写真好きの方にオススメしたくなる理由はここに尽きます。

とまぁ1人で直情的に語ってしまい大変失礼しました。個人の感想ですが、この写真集に巡り合って良かったです。まだ一度もご覧になったことのない方がいらっしゃいましたら、新品でも中古でも図書館でも構わないので是非読んでみてください!心からオススメ致します。

熱くなってスナップ撮影に行きたくなってきましたぁ!つくづく写真って面白いですね。撮り手の端くれのイチ願いに過ぎませんが、自分の・また見る人の心に刺さる写真を撮影したいものです。では諸君、良き写真LIFEを!かしこ。

ブログ管理人:isofss(イソフス)