人は人を撮りたい生き物だ。

言わずもがな写真のインパクトは被写体との距離に依存する。しかし、スナップ撮影中に見知らぬ人にカメラを向けるという行為はハードルが高い。心のどこかでブレーキがかかってしまう。一体どうすればよいのだろう?

1.おもしろい瞬間はいつも刹那。

人のいる場所にドラマはある。スナップに出かけたある日、駅の支柱に寄りかかってパソコンを開いてリモートワークをしているおじさんを見つけた。なんてシュールな場面なんだ!心が躍った。しかし、この人を撮ってよいものだろうか?このおじさんはわざわざ撮られるために屋外で不安定な場所で人目を憚らず仕事をしている訳ではないのだ。いや、しかし撮りたい、撮らせて頂きたい!…そう思って振り返って戻ったのだが、おじさんはいなくなっていた。その間およそ30秒もない。今年流行った某アニメのセリフを借りれば「判断が遅い!」ということだろう。ビンタが飛んで来そうな状況である。さて下の写真は別の場所だが、またも屋外リモートサラリーマンを見つけた。ドキドキしながらシャッターを切る姿はさながら不審者である。

もっと近づきたい。

あっ!と思った瞬間に迷わずにシャッターを切る決断力が欲しい。そのためにすぐできる対策はなんだろう?…そうか!カメラバッグを持ち歩くのをやめよう。カメラはストラップにぶら下げて常に体に密着させておこう、これで言い訳をひとつ消せるのなら。

2.近寄るという壁。

もう一歩近づかなければ…。そんなことは分かっている。分かっていても、ことスナップにおいて被写体に近づくには勇気が必要だ。うむ、この自律神経レベルの反応は自身が「普通の人」であることの証拠だろうか。「健全な市民」でありながらも「街角ドラマを記録したい欲求」のバランスを保つことなど実現可能なのだろうか?…そうだ!声をかければよいのだ!そう思い立ち、かわいい大福を売っていた店主に声をかける。「大福撮ってもいいですか?」もちろん答えはOKである。その場を立ち去る私の手には大福が握られていた。

カメラを構えて戦え、この弱味噌がっ!

勇気を振り絞って撮った1枚は旅行客がスマホで撮る写真となんら区別がつかない代物であった。…これが現実だ。受け入れるしかない。場数を重ねることで声かけ慣れするほかない。

3.ダイエットと試験勉強は明日からやる。

…のと同じ原理でよいではないか。怖くて被写体に寄れない現実を突きつけられても、大切なのは撮り続けることであり、たとえ今日被写体に寄れなくてもいいのだ。寄れない写真も恐れずに撮り続けよう。寄れないのではない、寄らないのだ!逃げではない、戦略的撤退だ!しかし燃えるような寄りたい欲求は心に灯っている。抗ってみせよう、いつか陽キャになるために!(違うか。)

寄れなくとも撮る。

では諸君、よきスナップLIFEを!かしこ。

ブログ管理人:isofss(イソフス)