道端の草花・壁に落ちる光と影・忙しない雑踏・そこらへんにいる猫…。街に出れば被写体だらけです!嗚呼、カメラ趣味って最高ですやん。陰キャだった私もこの沼に溺れてからは外出するようになりました。今日はね、その辺撮ってて何が楽しいのか?力説したいのです。

[1]好きな子とのデートみたいなもの

まずはカメラの話。昨今スマホの登場によって誰もがカメラを持つ国民総カメラマン時代になりました。しかし私は問いたい。スマホで写真撮ってて楽しいっスか?ホントに??皮肉にも、利便性をカンストさせたスマホカメラは撮影の楽しさまでも削ぎ落としちゃったと感じます。

「スマホでよくない?」よくない!

なんでわざわざ一眼カメラを選ぶのかって?まずもって単純にモノとしてテンションが上がる嗜好品だからですよ。その無駄に格好いいモノ感(or可愛い感)が極楽極地に鎮座するスマホとは別方向だと思います。一眼カメラは合理性に欠けるその直上的なスタートによって結果的に脳内で全部楽しさ変換が掛かる代物です。

写活は朝早くから始めるのが鉄板。光の差し方が面白いから。

だから、好きなカメラで撮るものがたとえその辺の壁であっても楽しいのです。好きな人とのデートだったらどこに行っても楽しいじゃないですか(知らんけど)。

[2]時間経過で重くなる

今度は写真の話。写真は時間を止めるじゃないですか。そして(基本的には)改変しない。写真史と言ってもまだ200年程度ですがこの記録性は人類にとっての大発明だと思うんです。動画とも絵画とも違う記録性。たとえその辺の雑踏であっても時を経れば2度とお目にかかれないわけで。時間は生きとし生きるもの全てに平等だってことを学べるのです。写真てすげーな、と。

失敗した写真だと思ってもあとで気にいることもある。これはアンダーな街並み。

とある写真講師の方が仰ってました「人間は人間を見たい」と。これはまさに金言というか真理というか。その時その瞬間に生きている人の写真って時間が経つほどに価値が重くなると思うのですよ。だってその時間は2度と戻ってこないのだから。

スナップ写真でどこまで人を写し込むのか?この葛藤は永遠に続く。

だからこそ写真に写りたくない人たちが一定層存在するのも理解出来ます。微妙な状態の記録が未来永劫事実として重くのしかかるなんてどう考えてもリスクですからね。

街並みのスナップ写真には人影が欲しい。これは警察官の後ろ姿。

もう1歩踏み込みます。写真という媒体を介して嫌な思いをしたり、傷つけられたり、もっと酷い状況に巻き込まれたりする話は枚挙にいとまがありません。写真本来の記録性が人間の欲やエゴで捻じ曲げられ、こと日本においてはその反動で写真を撮られること=気持ち悪いみたいな潮流になっているのは残念でなりません。

ガラス張りの職場で働く女性。

「人は人を見たい」が正しく機能すれば写真は人を鼓舞する道具になるのでしょうけども、澱んでる人間がゼロになる可能性はゼロですからお花畑では如何ともしがたく、写真の有用性加害性は今後も鍔迫り合いの火花を散らすのでしょう。

大勢の人がいる場合はボカして逃げることも逃げることも多い。これは配慮なのか?

小難しい話は置いておいて、まぁ個人としては自分が生活した街の記録は生きた証みたいなものなので、撮っていてやっぱり楽しいんですよね。大量に残る写真の中から人生のベストショットを1枚だけ選ぶとしたら?臨終の床で人生を振り返りながら私は一体どの1枚を選ぶのでしょうか?まさに人生はRPGですな。

[3]レンズテストでもある

真面目な話が似合わない性分なもので、最後はやっぱりヲタク寄りの話になります。その辺撮ってても楽しい理由は、そう!レンズテストなんですよスナップ写真って。

スナップ撮影の醍醐味は、レンズテストだったりする。

かくいう私も素人ですが、趣味人なりにこのレンズはパキパキだなとかこの距離だと立体感すごいなとか、目下脳内1人会議で云々呟きながらうろうろ歩くのは至福の時間なのですよ。ここはカメラ趣味やってない人には全然理解頂けない範疇だと認識しておりますハイ。

キリキリに写った建物を見てニヤリと微笑む。

↑見てくださいコレ、カリッカリじゃないですか。ここまでギャーンって描く必要はあるのでしょうか。もちろんこれは偶然の産物ではなくてレンズ設計者のこうしてやる!という意図が反映された結果です。メーカーもこれが売れる!と判断して世に放っている製品なのです。それを実際に使ってみてこれだぁ!と味わうのです。……た、ただそれだけッス。

105mmでショーケースに並ぶ商品を撮った。オシャレで楽しい。

もうちょっと定性化しますと、たとえば画角です。広角とか望遠とかいうアレです。レンズごとの写る範囲によって得意な被写体・得意な距離というのは千差万別。レンズの形状や重量も変わります。撮影者側の動き方も変わります。よってその辺を撮ってるだけでも修行となります。

綺麗に構図を配置できた時の喜び。

とんでもない量の駄作を生み出すことになりますが総じて修行は楽しいものです。その先にしか奇跡の1枚はないって知ってるからですね。漫画「ハイキュー」10巻で月島が木兎に詰められる(激励される)シーンが好きなんですよ。俺の時代が来た!と思える瞬間が有るか?無いか?写真においてその1カットを体験した暁にはもうこの沼からは抜けられません。

まとめ

かつて一眼カメラ産業を牽引した日本に生を受け、趣味を嗜む環境に恵まれ、ネットとSNSが揃った時代を体験できたこの天文学的確率に感謝せずにはいられません。おかげで楽しいです。末筆ながらカメラと写真のメリットが世の中に行き渡ることを願いつつお終いとさせて頂きます。ご拝読感謝申し上げます。

普段は機材ヲタクYouTube動画を投稿しております。同じテーマ(だったはず)の動画版は本日夕方公開。では諸君、良きカメラLIFEを。かしこ。

ブログ管理人:isofss(イソフス)